我慢は体に毒は本当か?

   

 

あなたは我慢しているでしょうか?

我慢している場合、どんなことを我慢しているでしょうか?

我慢とは一般的には、自分を抑えて耐え忍ぶことと言われます。一方で、仏教的な解釈では、「我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。」とあります。この場合の我慢は、自分の考えに執着し、他者を軽視することです。

全く逆に意味のようですが、いずれにしても我慢によいことはなさそうです。しかしながら、子どもの頃から私たちは我慢の大切さを教えられてきました。

その結果、体を壊したり、思い通りの人生を歩めなかったりすることがあります。この記事では我慢について考えます。

 

 

我慢とは、どういう状態なのか?

 

先に書いたように、我慢とは、一般的には、「自分を抑えて耐え忍ぶこと」と思われています。仏教では、別の意味があり、「我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。」だそうです。この場合の我慢とは、自分に執着することとなります。ですから、人を耐え忍ばせている可能性があります。

 

一見、逆の意味のようですが、共通点を考えてみます。

 

我慢とは、

・思い通りの状態ではない

・自分以外の存在が介在している

そう考えると、我慢とは、他者によって思い通りになっていない状態のことと言えそうです。

思い通りになっていない状態はストレスになります。もちろん、こちらが我慢をすることで、相手によい状態を提供できているなら、納得感もあります。しかし、我慢の多くは、こちらの配慮が相手に届かず、相手の態度が変わりません。せっかく我慢をして不全感を高めても、誰も幸せにならない、その我慢に意味はありません。

一方で、人は自分勝手には生きられないという問題もあります。人間が社会的動物である以上、他人との関わりの中では、我慢も必要になります。大切なことは、我慢を意識しコントロールすることではないかと思います。

 

 

人は、なぜ、我慢をするのか

 

ここでは、我慢を「耐え忍ぶ状態」として考えます。

 

なぜ、人は我慢をするのでしょうか?

・なんでも思い通りにいくものではないからという常識の刷り込み

・争いがないように、相手に譲る

・気が弱く自己主張ができないから

ということが考えられます。

要は自己主張ができないということです。つまりは、我慢は自分らしさの放棄であると言えそうです。

ところが、我慢にも力関係の階層があるようです。例えば、AさんはBさんに対しては我慢するけれど、Cさんには我慢しない。当然ながら、BさんもCさんに我慢しないですから、Cさんは我慢しなくてもいいDさんに当たったりします。

我慢にはカースト制度があるようですね。

 

 

我慢し続けた人生はどうなるのか?

 

ずっと我慢をしてきた人の人生はどうなるのか?

その我慢は自分の意思によるものか、他人に強要されてきたものかで変わってきます。

他人に強要されている我慢の場合、被害者意識が高まります。しかし、他人はこちらの我慢に無頓着なことが多いので、他人に支配された人生を生きることになってしまいます。

我慢している側は、相手よりも自分の方が、物事がわかっていると考え、相手を馬鹿だなと思っても、我慢を続けていることに変わりはありません。最終的には、誰かのせいで我慢を強いられ、自分らしい人生を歩めなかったと思うことになります。

 

 

 

我慢をしている人の思考

 

我慢をし続けていると、人はどうなるのでしょうか?おおよそ、次の4つの考えになるのではないかと思います。

1:我慢している人と傷を舐め合う

2:我慢させている人を恨む

3:我慢しない人に怒る

4:我慢する必要のない人を羨む

また、人生を評価されていない苛立ちが大きくなり、

・我慢は人生を絶望に導く

・先が見えないから、不安に陥りやすい

という精神状態になってしまいます。

 

 

 

我慢の正体

 

我慢には3つの種類があると考えています

・自己完結型(意識化できている我慢)

・常識の洗脳

・他者による強要

 

自己完結型は、ダイエットをするために食事を我慢するというようなことです。ゴールを意識した我慢なので、自己完結ができます。

常識の洗脳とは、母親は家族を優先して生きるべきだという刷り込みによる我慢です。

他者による強要は、家事は妻がやるべきものだという夫の強要による我慢です。

大切なことは、その我慢に納得しているか、納得していないかでしょう。子どもが大切な人は子どもを優先すればいいし、家事が好きなことは積極的に家事をすることに喜びを感じるなら、家事を行えばいいのです。一方で、やりたくないことを我慢してする状態は、自分の好ましい状態を放棄することになります。

こうした我慢は他人への怒りになってしまいます。つまり、自分は我慢をしているのに、我慢をしていない(ように見える)人に怒りを感じるのです。

たとえば、毎晩3品の食事、ご飯は炊きたてを10年やってきた主婦は、ご飯を作ったことがない主婦に怒りが湧き、常識のなさを非難したくなるかもしれません。しかし、それは各家庭の話なので、他人がどうこういう話ではありません。

 

我慢は自分を見失わせてしまいます。「人生はこんなもの」と思い込み、我慢の先に希望がない人生は、無限地獄です。

 

ということで、我慢は体に毒でしょうね。

 

 

 

我慢との付き合い方

 

我慢をしない人生を歩む第一歩は、自分の我慢に気づくことです。

「何を我慢しているのか?」

「なぜ、我慢をしているのか?」

我慢をしていることで、誰かが幸せになっているのか

 

それは我慢なのか?意思なのか?

その我慢は必要なのか?

多くの場合、自分の人生に必要のない我慢をしています。

次に、我慢をしない人生を歩む秘訣は、器を大きくするということです。

って、そんなことが簡単できれば苦労しないという話になりますね。

 

簡単ではないのですが、その方法は、

 

1:こだわりを捨ててみる

我慢をしているということは何かを守っているということの裏返しです。そもそも、それを守る必要があるのでしょうか?

たとえば、嫌な上司に我慢をしている場合、守るものは、その会社で仕事をするということでしょう。もっといい条件の会社がないかもしれないと思えば我慢しなければなりません。しかし、他にもあると思えば我慢する必要なんてありません。

我慢とは自分の思い込みやこだわりが根幹にあるのです。こだわりを捨てると器が広がります。

 

 

2:モノを捨ててみる

物理的な方法で器を広げるのは、部屋にある不要なモノを捨ててみるということです。モノを減らせば、空間が広がります。部屋の大きさは同じでも、空間という器が広くなれば、心も広くなります。

 

 

 

我慢をしてきた人へ

 

我慢をしない生き方について考えてきましたが、人間が社会的動物である以上、完全に我慢をしないでいい状態を作ることは困難です。

我慢とは、相手への配慮でもあり、他者への思いやりです。

人は繋がって生きています。もし、これまで我慢してきたことが多ければ、たくさん人に配慮をしてきたということです。

 

そんなあなたは間違いなくいい人でしょう。

 

ほんの少しでも自分を解放してみませんか?

 

人生はこれからです。

なぜなら、あなたの残りの人生で今日が一番若い日なのですから。

 

 

 

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